第4回: あなたの力になりたい

 先日,ある医学生(Jさん)とお話しする機会がありました。「この夏に,重症心身障害児施設に実習に行ってきました」と言われたので,「実習どうだった?」と尋ねてみました。すると,それまでの明るい表情が急に曇り,「うまく言えないんですけど……もう衝撃で……こんなふうに生きている子どもたちがいるんだなって思って」,「実習の後,『こういう子たちは,これからどうしていくのがいいと思う?』と先生に聞かれたんですけど,答えられませんでした。そんなこと僕にはわからないし……」。Jさんのつぶやきのような言葉を聞きながら,ふと,私も似たような感情を抱いた経験を思い出しました。

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 精神科領域の実習で,初めて精神科の病院を訪れた大学3年生のときです。昭和時代から何十年も入院しているという患者さんのカルテをめくりながら,Jさんと同じような衝撃を受けました。「人生の半分以上を病院で過ごしている人がいるのだ」という驚き,そして,「どういうゴールを見据えて看護したらいいかなんて,たった数日でわかるわけがない。無責任に看護計画なんか立てられないよ」と言いたくなったのを覚えています。

 だけど,それでは実習が先に進みません。湧き上がってくるモヤモヤした気持ちや,数々の疑問に蓋をして,決められた日程・書式に沿って日々の計画を立案し提出。教科書や論文をつまみ読みしながら,「精神疾患のある患者の長期入院について」といった内容の最終レポートを書き,“とどこおりなく”実習を終えたと記憶しています。評価も悪くなかったと思います。

 状態が良くなる可能性はおそらく低く,そんな中で生き続ける人たち。何十年も入院生活を送っている人たち。彼ら・彼女らが今後どうしていけばいいか,看護学生である自分にどのような支援ができるかなんて,その施設にポンと行って,数週間かかわっただけの者にわかるわけがないですよね。だから,Jさんのような反応がある意味“普通”だと感じました。ただ,こんなことを言っていたら実習の単位がもらえないし,卒業できません。

 そうこうしているうちに,「患者さんの全体像」とやらを理解したように見せるのが上手くなり,教員や先輩に求められる答えを言えるようになり,もしかすると「看護師として一人前になった」と自他ともに思ってしまうのかもしれません。

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 川嶋(2018)は著書のなかで,看護師の対象理解には限界があるとし,以下のように述べています。

 看護師たちが,看護学生たちが,どんなに安易に「患者を理解し」「ニードを把握する」という言葉を用いていることか。そしてその理解が浅薄であり,対象の実態とかけ離れていても,看護師の価値観に相手を合わせて自己満足したり,逆にいらだったりしている場面を日常よくみることができる。

川嶋みどり(2018).ヘンダーソンからの贈り物─響き合い拡がる看護をめざして.看護の科学社.

 人間が,人間のことを「理解する」のは不可能だと私は思っています。でも,だからといって諦めるのではありません。それでもなお,「私はあなたのことを知りたいと思っているし,力になりたいんだよ」という姿勢でい続けることが大切だと考えています。精神科領域で実習をしている自分にいま声をかけるとしたら,「患者さんの全体像のアセスメントや,看護計画を立案することに戸惑っているあなたは間違っていない。安易に『患者を理解し』『ニードを把握する』という言葉を使うよりずっといいよ」と伝えたいです。

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