セルフケアと自助

はじめに

 地域包括ケアシステムが提唱され,自助,互助,共助,公助という言葉がよく聞かれるようになった。このような中で,「セルフケアと自助は,同じものですか」というような問いを耳にすることがある。ここでは,セルフケアと自助について,改めて考えてみたい。

地域包括ケアシステムに示されている「自助」

 地域包括ケアシステムは,高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで,可能な限り住み慣れた地域で生活を継続することができるような包括的な支援・サービス提供体制1)2)である。「地域包括ケアシステムの5つの構成要素と『自助・互助・共助・公助』」1)2)において,「自助」は,「自分のことを自分でする」「自らの健康管理(セルフケア)」「市場サービスの購入」と記述されている。

 「自助」「互助」「共助」「公助」は,費用負担を誰がするかによって論じることができるという。「公助」は生活保護に代表されるような税による公の負担(公的扶助),「共助」は介護保険や社会保険などリスクを共有する仲間(被保険者)の負担である。これに対して,「自助」は自分自身でケアすることや市場サービスの自己負担などが含まれている。「互助」はボランティア活動や住民組織の活動などであり,互いに助け合うことにおいては「共助」に近いが,費用負担の制度的裏付けがないという点が「共助」とは異なっている。

 「自助」は上述した定義の他に,「介護予防・日常生活支援総合事業の推進に向けて」というサイトでは,〈自助:・介護保険・医療保険の自己負担部分・市場サービスの購入・自身や家族による対応〉と書かれおり,家族が「自助」に含まれる定義が存在することが指摘されている3)(p.19)。このように,「自助」に家族の支援が含まれるのか,家族の支援は「互助」なのかということについては,議論がわかれている。

 また,少子高齢化や財政状況から,「共助」「公助」の大幅な拡充を期待することは難しく,「自助」「互助」の果たす役割が大きくなることを意識した取組が必要1)と,示されている。このような表現は,時に,自分自身や家族などで何とかやっていくことが大切という誤ったメッセージとして受け止められかねないリスクをはらんでいるように思う。

 宮本ら4)は,私たちはいとも簡単に誰かの支えなくしては生きていけない状況に陥るにもかかわらず,そのことを忘れて「自助幻想」に囚われがち(p.3)であることを指摘し,自助社会の転換が必要
であると述べている。また,二木は,地域包括ケア「システム」の実態は,全国共通の「システム」ではなく,各地域で自主的に取り組むことが求められている「ネットワーク」である3)と指摘してい
る(p.6)。

 このようなことをふまえて,改めて「自助」を考えると,「自助」は単独で機能するようなものではなく,「互助」「共助」「公助」と関連するものといえるのではないだろうか。そして,「自助」が強調されすぎて,個人や家族のみの責任を追及することがないような配慮が必要であり,地域にある医療支援,介護支援,生活支援などをさまざまな資源を活用できるような,自主的なネットワークづくりを検討することが求められていると考える。

セルフケアの本質的意味

 「自助」の定義の1つに,「自分のことを自分でする」「自らの健康管理(セルフケア)」とあり1)2),「自助」と「セルフケア」が同義語として示されているが,ここであらためてセルフケアの本質的意味について考えてみたい。

 セルフケアの定義はさまざまである5)~8)が,共通して強調されていることは「一般の人々自身が自分たちの健康問題に主体的に対処していく積極的役割」であるという5)。また,看護理論家のオレムは,セルフケアを「意図的な行動」6)と述べている。さらに,オレムは,セルフケアを「自己の生命,統合的機能および安寧に必要な自己の機能を調整するために,自分自身または環境に向けられる行動」6)としている。ここからは,セルフケアは,自分で自分のケアを行うということにとどまらず,環境を整えたり,医療資源など周囲の環境から支援を受けることも含まれると読み取れる。また,宗像による3つに分類されたセルフケアの1つに,「自らの健康問題を自ら利用し得るケア資源を活用して解決しようとする行動」としてのセルフケアがある7)。ここでは,人々が自分自身のケアを自分で行うとともに,医療者を資源の1つとして活用して,主体的に健康問題に取り組むことが示されている。

 本庄は,セルフケアの力であるセルフケア能力の構成概念の1つに「支援してくれる人をもつ能力」をあげている8)。自分の健康管理に必要な支援をしてくれる人をもち,活用することは,セルフケアの力の重要な一要素である。ボランティアの方,医療職者,地域で支えて下さる資源を把握し,上手に活用する力を発揮することは,その人らしく生き生きと生きることにつながるだろう。

 以上から,セルフケアの本質的意味は,「主体的な行動」であり,それは決して自分自身ですべてを解決するという意味ではなく,周囲の資源・支援を上手に活用しながら自分自身の健康やよりよい状態を創出するという意味と捉えることが可能である。「主体的に」という言葉には,その人自身の「こうありたい」というような意思決定の尊重が内包されているのである。

再考:セルフケアと自助

 「自助」は,費用負担をだれがするかという点から考え,自己負担(自分自身でケアする/必要な民間サービスなどを利用する)という観点から理解することは可能である。一方で,「自助」の定義の1つに,「自らの健康管理(セルフケア)」とあるが,セルフケアの本質的意味から考えると,そこには,「互助」「共助」「公助」をはじめとするさまざまな資源を活用することが内包されていると考える。

 このように考える理由の1つは,セルフケアで強調されていることが「主体的に対処していく積極的役割」であり,自分で自分のケアを実施するということにとどまらず「その人をとりまく周囲のさまざまな資源を活用して,自らのより良い状態を創出する」というところにある。つまり,「自助」にとどまらず,必要な「互助」「共助」「公助」を上手につかっていくことこそが,セルフケアといえるだろう。

 そして,地域包括ケアシステムのシステムが,制度や体制にとどまらない,地域特有のネットワーク3)であることを考えると,自分に必要なネットワークを活用することもセルフケアといえるだろう。「セルフケア」と「自助」は「自分のことは自分で行う」という点では類似するところはある。また,その人の意思決定を尊重するということを大事にしていることも共通しているだろう。一方で,セルフケアの概念は,さまざまな資源(互助,共助,公助を含む)やネットワークを活用することまで内包している。「自助」をセルフケアの本質的意味から捉えようとするのであれば,その人自身が自身のケアに全責任を負い,個人と家族で完結しなくてはいけないというような思考からは離れる必要があるだろう。そして,さまざまな資源や支援を活用できることがセルフケアの1つである,という視点と支援が必要になると考える。

おわりに

 地域包括ケアシステムは,高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援を目的の1つとしている。このような地域包括システムの中におかれる「自助」「セルフケア」は,その前提として,個人の「こうありたい」「これだけは譲れない」というような価値観や意思決定が尊重されるということがあるだろう。「ご自身と家族で頑張ること」を強いるようなものではなく,その人の意思決定を尊重し尊厳を守るような「自助」「セルフケア」を広めることが大切になる。その地域にあったサポート体制や支援ネットワークを創り出して,それらを上手に活用してそれぞれの人が生き生きと暮らすことができるような温かみのある「自助」「セルフケア」を考えていくことができればと思う。(2023年執筆)

[註釈]
1) 厚生労働省:地域包括ケアシステムの5つの構成要素と「自助・互助・共助・公助」
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/dl/link1-3.pdf
2) 地域包括ケア研究会:地域包括ケア研究会報告書.
https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2022/11/houkatsu_01_hokatsucare.pdf
3) 二木立:地域包括ケアと地域医療連携,勁草書房,2015.
4) 宮本太郎編:自助社会を終わらせる─新たな社会的包摂のための提言,岩波書店,2022.
5) 西田真寿美:セルフケアをめぐる論点とその評価,園田恭一・川田智恵子編:健康観の転換,p.157-174,東京大学出版会,1995.
6) Orem, D. E.,小野寺杜紀訳:オレム看護論─看護実践における基本概念,第4版,医学書院,2005.
7) 宗像恒次:セルフケアとソーシャルサポートネットワーク,日本保健医療学会年報,4,p.1-19,1989.
8) 本庄恵子監:セルフケア看護,ライフサポート社,2015.