第2回: いざ,救出へ

 休日の昼前,見慣れない番号からの電話が入りました。いつもなら母が受けるのですが,この少し前に,ちょっと調子が悪いと言い,母は横になっていました。

 誰だろうと思いながら受話器を取ると,千代子おばちゃん(仮名)の声でした。丘(隣の集落の小高い山,桜とそこから見下ろす風景が見事らしい)に,花見に行く途中で車がエンストを起こしてしまい,動かなくなったというのです。車が止まった場所は細い道でほとんど車も通らないところなので,やっと車が通りそうなところまで歩いた。そこへ偶然通りかかった車がいて,携帯電話を借りてわが家へ電話をかけたとのことでした。

 予想もしない出来事でしたが,どんなにか困っていることだろうと思い,とにかく迎えに行きます,と返事をしました。しかし,まだ周辺の道に不慣れで,山道の運転にも一抹の不安がありました。

 「おばちゃんが丘で動けなくなっているって」と伝えると,母は,即座に起きました。「迎えに行かなきゃ,道はわかる,たぶんあの道を行けば会えるだろうから……」などと,急に饒舌になり,さっきまでの弱々しさはどこかに吹っ飛んでいました。

***

 山道を10分ほど登っていくと,その山の所有者が趣味で植えたツツジが咲きほこる庭園があります。5年ほど前,帰省した時に母と行ったことがありました。青空の下,満開の桜,咲き始めたツツジ,その中で食べたおにぎりの美味かったこと,その時の風景がよみがえりました。今の母の足の状態ではとても行けそうにありませんが。

 そう言えば,そんなことがあったね─,と悠長なことを言いながら通り過ぎました。母は「そこ,そこ」と道を指示するのですが,わたしには未知の道です。直前に言うので曲がり損ね,畑道の行き止まりになったこともありました。「もう,早く言ってよ!」と,声を荒らげながらハンドルを切り直し,車を進めました。

 そんな攻防を繰り返しながら数分行くと,道端におばちゃんの姿を発見しました。「おばちゃんだよ!」という一言で,さっきまでの険悪ムードは一蹴されました。早速おばちゃんを車に乗せ,おじちゃんと愛犬が待つ場所へと向かいました。乗るなりおばちゃんは,ひとしきり事のいきさつを話してくれて,申し訳ない,ありがとうと繰り返しました。

 おばちゃんには近くで暮らす息子夫婦がいるのですが,携帯電話を忘れてしまって電話番号がわからなかった,唯一思い出したのが母の電話番号だったと口にしました。それを聴いた母は頼られたことが嬉しかったのか,困った時はお互いさまだからね,と力強く答えていました。

 一段と細くなった道を数分行くと,おじちゃんと愛犬のミミが道端に座り込んでいました。「おじちゃん」と声をかけると,おじちゃんは苦笑いしながら立ち上がり,ミミは尻尾を懸命に振っていました。心細かったことでしょう。まるで,2人の心境をミミが代わりに伝えているようでした。

 おばちゃんは距離にすると1km弱の道を歩き,私たちの車を待ったことになります。元気とはいえ80代,必死で歩いてきたのだろうと想像できました。

 2人と愛犬を救出した帰りの道,庭園近くで緩やかな風が吹き始めました。満開の桜の花びらが雪のように舞い始めました。「わぁ,見て,見て」と言うと,わぁ~と声が上がりました。私は「今日みたいなことがなかったら,こんな花見は滅多にできなかったね」と励ましの意味を込めて言いました。

 帰ってから程なく,おばちゃんはお礼にと健康ドリンク 1 ケース(12本)を抱えてきました。少しのことでも受けた恩に対し,感謝の気持ちを表すことが,集落で生きていく暗黙の了解と言おうか,掟のように感じました。しかし,よく考えてみれば,人と人との信頼関係を築いていくうえで当然のことのように思います。礼節を重んじてきた日本の文化であり,これがコミュニティを形成する上で欠かせないことではないでしょうか。こういうことが集落には現存しているのです。

***

 後日談。集落の花見があり,おばちゃんも元気に参加されていました。訊くと,ミミはあれから数日間食欲がなかったとのことでした。きっとお2人の体調も同じようだったのではないでしょうか。

(2018年執筆)

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