第6回: 婦人会の一員になる

 「婦人会に入って」と婦人会長の洋子さんに声をかけられたのは,集落のお花見のときでした。これは集落で最も長く続いている行事で,ほとんどの住民が参加します。

 「お花見」と言いますが,高齢者たちは「さのぼり(早上り)」とも呼んでいます。さのぼりは「田植えの終わりに田の神を送る祭り」のことですが,現在,この地域には水田は見当たりません。住民が集う場として名称だけが残っているようです。そして一同が集う場所は「はやまどん(早馬殿,牛馬の神を祀ったところ)」という小高い丘の前の広場で,農耕との密接な関係をうかがい知ることができます。ちなみに,鹿児島では「殿との」を「どん」と言います。恐れ多く近寄りがたい存在というより,尊敬の中にも親しみを込めた呼称のようで,その典型的な存在が『西郷どん』ではないでしょうか。

 しかし,このお花見も近頃は集落の組織から抜ける住民もいて,全員の参加にはなっていないのだそうです。組織から抜けるということは,ご近所付き合いもなくなり,集落から完全に孤立することを意味します。なぜ,そのような事態に陥るのか。親が亡くなり独り身になった子どもが,それまで集落の行事にかかわってこなかった場合,そのようになるようです。明日はわが身かもしれません。母が存命中に,集落の一員として溶け込めるようしておかなければなりません。ありがたいお誘いなので,早々に入ることにしました。

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 集落は7割弱が女性です。ほとんどが婦人と言えるのですが,老人の行事に参加するようになると婦人会を卒業するのだそうです。ですから婦人会は50代,60代の若い? 世代になります。
 数年前,東北地方で震災支援をしていた折,婦人会が高齢であっても一家の主婦としての立場のものであり,嫁の立場のジレンマを伺ったことがありました。土地柄もあるでしょうが,その意味では開放的なのかもしれません。

 10名ほどの会員は,農業や畜産業を専業にしている人,お勤めの合間に農業や畜産業を手伝っている人,お勤めだけの人など,仕事もバラバラです。よく見ると集落で生まれ育ったのは私ともう1 人のみで,別の土地から嫁いできた人が大半です。この地で暮らしてきた月日も違う中で,集団として活動を継続していくのにはそれぞれの努力があってこそ,と想像します。

 さて,初めての活動は集落広場にある花壇の花植えでした。前日からの雨が残る朝でしたが,初めての参加ということもあり,緊張しながら現場に向かいました。時間よりも早く到着したにもかかわらず,すでに数名の先輩が作業中でした。円形になった花壇には咲き終えたアジサイや草花が雨に濡れていました。

 先輩たちは手際よく鍬で耕し,新たな花を植える場所をつくっていきます。皆さんのようにはできないので,手持ち無沙汰で困っているところへ,洋子さんがポットに植えられた花の苗をもってきました。できることがあった,よかったと一安心,苗を車から降ろしました。すると,数種類の花を見栄えよく植えるには,どの配置にするか,口々に意見が出ましたが,私は様子を見守ることにしました。結局,最も花に詳しい洋子さんの意見でまとまりました。

 苗を配っていると,「テレビで肉を食べるとよいと言っていたけど,これ以上太っても(困る)ね。専門家に聞いてみよう」と貞子さんに話を振られました。よかった! 看護師として伝えられることがあると,居場所を得たような気分になりました。

 合羽を着ての作業は1時間ほどで終了しました。雨も強くなってきたので帰るのだろうと思っていたところ,皆さんが車の中から出してきたのは,お菓子や飲み物,買ったものや手づくりのもの,東屋の木のテーブルにはあふれんばかりの食べ物が並びました。そんなこととはつゆ知らず,新人の私は居心地の悪さを感じつつ,早く時間が過ぎてほしいと願いました。しかし,本降りになった雨や雷をものともせず,会合(おしゃべり)は2 時間ほど続いたのでした。活動後が本格的な婦人会の活動だと学んだ日でした。

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 2か月後『七夕飾り』をつくる集まりがありました。七夕飾りの材料の他に食べ物を持って行ったのは言うまでもありません。自分が持参したものが無事に先輩方の口に入り,「おいしい」と言われたとき,なんとなくホッとしました。このような機会を繰り返し,徐々にその集団に溶け込んでいけるような気がしています。
*登場人物は仮名です。

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