第3回: 生活困窮者の餓死を忘れてはならない(2007年)

 世界中で洪水や山火事など,地球温暖化現象による異変が起きている。わが国でも,健康な大人が熱中症予報を注目する程の猛暑が続いた。一方,凶悪犯罪も後を絶たず,社会の病弊は行き着くところを知らない。そうした中,防ぎ得ぬ自然災害でもなく発作的な凶行の結果でもない悲惨な死が報じられた1)。「おにぎりが食べたい」と書きのこして,餓死していたというあの生活保護者の死である。

 52歳の元タクシー運転手,肝炎と糖尿病,高血圧のために就業できず受けていた生活保護を,3か月後に打ち切られて死後1か月とみられる状態で発見された。折しも参議院選挙戦の真っ只中,弱者いじめの福祉後退政策の現れとして論じられはしたが,相次ぐ不祥事や政治不信に通じる失言・妄言のニュースに消され,やがて人々の記憶から遠のいた感がある。

 だが,看護時評2)は忘れない。ファーストフードの売れ残りやファミレスの残飯が,カラスを招き寄せる都会の路地裏。メタボリック症候群予防のコマーシャルが流れ,リバウンドを嘆きつつ懲りずにダイエットの努力を重ねている人たち。同じ国に生まれて生きて,こともあろうに飢えで生命を落とす人がいるとは。しかも,調べる程にこれは人為的な死である。 「せっかく頑張ろうと思った矢先に切りやがった。生活困窮者は,はよ死ねってことか」との日記が死後公開された。

 診療報酬区分に「生活保護」と記されたカルテを,病院に働いている者ならしばしば目にするだろうが,その言葉の意味や,背景となったその人の生活状況を想像したことがあるだろうか。貧困は,飲酒や怠惰,多子などによる個人的要因とされていたのは,19世紀のイギリスでのこと。その後,真の要因は,生存を危うくするほどの低賃金や長時間労働などによるとの調査により,貧困は社会問題であるとの認識を社会に深めさせた。

 わが国では,第二次大戦後,公的扶助の中核的制度として生まれたのが生活保護制度である。「日本国憲法第25条に規定する理念に基づき……その最低限度の生活を保障するとともに,その自立を助長すること」をめざすことがうたわれている。この法の解説によると,ここでの自立とは,すべての人に内在する可能性を引き出し,満足のいく建設的な社会生活を営めるよう助力することで,単なる経済的な自立のみをさしているのではないという。

 一方,格差社会が大きな話題となっているが,所得格差が過去最大を更新したとの,厚労省の所得再配分調査の結果が報じられた。これは,高齢化が主因であるとともに,90年代後半の不況期に定職につけぬまま日雇い仕事をしながら,ネットカフェに寝泊まりする若者たちや,働いても働いても決して人並みの暮らしに届かない低賃金の,ワーキングプアな人々が増え続けていることによるのだそうだ。この人々のおかれている様子は,「衣・食・住」のすべてにわたっていつ病気になってもおかしくない状態である。保護を差し止められて生命を落とさなければならなかった構造と,どこが違うのだろう。

 健康で文化的な最低生活を営む権利は,憲法で保障された国民の権利である。生活保護は,国民の誰もが人間らしく生き,その人らしく生きていくことを,国として保障するという制度であり,個人的な慈善事業では決してない。人々の生命や健康に影響する要因のなかでも,社会的要因がきわめて強いということを真摯にうけとめるなら,現在,この国で起きている諸現象の多くが看護問題に直結するものであることを再認識した次第である。(2007年執筆)

〔註〕
1)2007年7月10日,11日付新聞各紙.
2)「看護実践の科学」(看護の科学社)連載企画.