第1回: 基本的なケアの意味と価値(2006年)
看護現場の危険信号が鳴り響いているという認識が広まっているが,こうした状況をもたらした背景に何があるのかを,しっかり見極める必要がある。近年のあまりにも急テンポな医療環境の変化は,それが社会ニーズによるというより,政策誘導的な諸課題によるものであることも否定できず,直接間接に医療経営に影響する仕組みが徐々につくられている印象を拭いきれない。各医療機関は,地域性やヒューマンパワー事情等の独自の条件を顧みる余裕のないまま,一様に課題追求を行ない,その無理が看護師の日々の仕事にも著しく影響している図式がある。
現在社会を賑わしている一連の事件が,規制緩和策がもたらしたものであるとの指摘とともに,経営至上や効率優先の思想が行き過ぎた結果であることと見れば,医療の世界にも波及しない保障はなく,ほころびの来る前に手を打つ必要がある。医療職者の中に占める率が高いだけではなく,環境の変化をもっとも早くもろに受ける立場の看護職者として,危険信号の因となっている事象を集め,その分析に基づく対策を真剣に考え,実行可能な提言を急がなければならない。
同時に,看護本来の責務とも言うべきベッドサイドケアの実態を直視する必要がある。質の高い看護が患者の健康回復を早め,治療効果をも促進することは,看護職者の間では共通の認識になっている。だが,実際に行われているケアの内容は,果たして専門職に恥じないものになっているであろうか。あるべき看護を言葉で語ることができても,実際の行為につながらなければその知識はないに等しい。まして,人々の看護の価値への理解の距離がますます遠のくばかりである。現在進行中の医療現場の凄まじさが,看護業務に波及していることを認めつつも,ひょっとしたら,それを口実にして看護が変質しつつあるのではないかとの危惧感さえ持たざるを得ない。
折しも,最新のアメリカ看護事情として語っているスザンヌ・ゴードンの,怒りを秘めた憂いもまさに,筆者のそれと同質のものであった。溲瓶を自力で支えることができずにベッド内に尿を漏らしてしまった患者に対して,溲瓶の尿は捨てたがシーツや毛布を濡れたままにした看護師。患者は,「濡れたまま横になっている一人の人間のことを考えることのできない“混乱”した若い女性の無神経さ」と語った。「排泄の処理をする時にその人に恥辱感や屈辱感を感じさせないことは,新卒の賢い知的な看護師がマスターしなければならないもっとも重要な技能であり,恐らく看護師の仕事のなかで,もっとも知力を使わなければならない仕事ではないか」と言う彼女に共感した。
この報告の表題が「もっとも基本的なケアを見下す看護師たち」とあったが,現在のわが国の看護事情に共通ではないだろうか。患者満足度調査とか看護ケアの質評価ツールなどによって,科学的なケアの評価をすることも大切だが,先ず看護の受け手である人々が,日々どのような思いで不自由さを託っているかを,身近にいる看護師の目で確かめるべきだろう。また,教育や臨床の場を問わず真剣に話題にすべきだろう。その上で,本来行うべきなのに行なわれていないケアを挙げ,何故それを行なうことができないのかを,看護師の内面の問題に深く切り込んで分析してみようではないか。(2006年執筆)
〔参考文献〕
スザンヌ・ゴードンのアメリカ医療・看護最新事情 第34回 もっとも基本的な看護を見下す看護師たち,ナーシング・トゥデイ,21(2),68-69ページ,2006.
かわしま・みどり 医療法人財団健和会臨床看護学研究所所長
看護師
日本赤十字女子専門学校(現在の日本赤十字看護大学の前身)卒業,日本赤十字社中央病院(現在の日本赤十字社医療センター)勤務。その後,卒後研修,看護基礎教育などに携わる。1995年若月賞,2007年ナイチンゲール記章,2015年山上の光賞受賞。日本赤十字看護大学名誉教授。
主な著書に『ともに考える看護論』(医学書院,1973年),『キラリ看護』(医学書院,1993年)、『看護の力』(岩波新書,2012年),『いのちをつなぐ─移りし刻を生きた人とともに』(看護の科学社,2018年),『川嶋みどり看護の羅針盤 366の言葉』(ライフサポート社,2020年),『生活行動援助の技術 改訂第3版』(看護の科学新社,2021年),『ベッドサイドからケアの質を問う』(共著)ほか多数。
現在,「オン・ナーシング」に「看護時鐘」連載中。