思い出乗せて 京成電車

 私は幼い頃から鉄道が好きで,中高年になった今も,暇とお金があればカメラを持って鉄道に乗りに出かけています。鉄道好きというと,SLやスマートな特急列車を追いかけているイメージを抱く方が多いと思いますが,私は私鉄が好きなんです。
 25年ぐらい前に,田舎で頑張っている私鉄の全部に乗ってみたいと思い,以後あちこちに足を運んでいますが,計画的に行なっていれば,とっくに全社全線を制覇していてもおかしくないのですが,残念ながらそういう几帳面さはなく,さらに気に入ると何度も同じところに通い詰めたりするので,いまだに一度も乗ったことがない路線が何本かあります。
 しかしながらこの趣味のおかげで,日本各地の有名な街だけではなく,変哲もない地味な田舎の農村,漁村,山間の集落などを訪ねる機会に恵まれました。
 専門学校で社会保障制度の授業を担当していますが,そのなかで過疎化や人口減少社会といったことを取り上げる機会があります。このときに各地を訪ねて見て,触れたことが大いに役立っています。
 一方で,都市の空洞化といった都会ならではの変化も,実生活で感じています。

青砥~高砂,中川の夕暮れ

 「それを言っちゃおしまいよ」
 これは夕餉のときの些細な会話の食い違いで,育ての親のおいちゃんや,裏の印刷工場の社長と言い争いになり,やがて取っ組み合いの喧嘩に発展した結果,家を飛びだしていく寅さんのセリフです。
 駅まで追いかけてきた妹のさくらに,何か言いたげな寅さんですが,素直に言えず,ようやく言葉を発しようとすると,電車の扉が閉まります。
 「お兄ちゃん,今なんて言ったの?」
 ピー,出発を告げる車掌の笛が暗いホームに響き,さくらの視線の先を,テールランプが遠ざかっていく……。
 映画『男はつらいよ』のお決まりのシーンですが,私の私鉄好きの原点は,この作品で必ず登場する京成電車にあります。
 両親の故郷(というと言いすぎです。いわば実家です)は,京成電車の沿線で,父が新三河島(日暮里の隣),母が柴又出身です。荒川区と葛飾区ですから,完璧な下町の人間です。
 『男はつらいよ』の主演渥美清さんが逝去し,もうずいぶんと経ちましたから,あの何となく鼻の頭がつんとするようなシーンで京成電車が登場することはなくなりましたが,世代によって京成電車に抱いているイメージは,ずいぶんと違うようです。
 大方の人は東京と成田空港を結ぶ電車と言うでしょう。実際に成田空港行方面の電車に乗れば,大きなスーツケースを持った外国人がたくさん乗っています。
 シニア世代でかつ沿線出身の人だと,東京と成田山新勝寺を結ぶ,お詣りの電車と言うでしょう。おそらくは正月・五月・九月にお詣りに行った思い出のある人が多いのではないでしょうか。はたまた,「船橋~ヘルスセンター~船橋~ヘルスセンター~長生きしたけりゃちょいとおいで,ちょちょんのぱ,ちょちょんのぱ」の船橋ヘルスセンターや,谷津遊園へ行く行楽電車をイメージする人も結構いそうです。
 私はというと,成田空港も成田山もイメージしますが,どちらかというと,下町を行き来するサンダル履きでも乗れる電車のイメージが強いですね。
 駅の前にロータリーもなく,商店街の入り口にさり気なく入り口があって,狭いホームに立てば,揚げ物や焼き鳥のにおいが漂ってきて,食欲をそそられる……そんな場面を思い出します。
 私が子どもの頃は,まだまだ上野・押上から小岩・金町辺りまでのお客が多く,この区間にある町屋や曳舟・立石といった駅にも特急や急行が停まっていましたが,時代とともに京成電車の主軸は成田空港や羽田空港への輸送にシフトし,今では下町の駅に停まるのは,各駅停車ばかりになってしまいました。各駅停車に乗ると,まだまだ幼き頃の京成電車の空気感が残っているようにも思います。

立石~青砥

 ところで我が家では,毎年九月に両親と妹の夫,すなわち義弟の誕生日を祝いますが,一応主催は私です。この日はそれこそ,昼過ぎから京成電車の沿線に出かけます。町屋・立石・押上・高砂辺りがその行く先なのですが,それぞれにおいしいものが買える商店街があるからです。
 実際何を買うのか。昨年の買い物を思い出してみます。
 焼き鳥,コロッケ,メンチカツ,肉団子,お刺身,煮豆,里芋の煮っころがし,ハスとこんにゃくの煮物,べったら漬け,たくあん,キュウリのぬか漬け,焼き豚,稲荷寿司と海苔巻き,早生ミカン,どら焼き,ケーキ……。だいたいこんなところで,これに飲み物が加わります。
 読まれている方は,「誕生日なのに,こんなもの買うの?」と思うのではないでしょうか。
 その実,一般的には高級品の部類に入るものではないかもしれませんが,どれも昔から沿線の商店街にある店のもので,それぞれに熟練の技が生きています。
 焼き鳥の鶏肉は弾力があり,ジューシーで,継ぎ足し継ぎ足しのタレが絶妙にマッチしていて,コロッケなどは冷凍のものではなく,毎日仕込まれているものを年季の入った鍋で揚げています。
 お刺身は新鮮なのはもちろん,包丁で丁寧に削りだされたツマもおいしく,煮物類は大鍋でしっかり煮込まれたものだし,漬物もぬかの香りが心地よいものです。
 稲荷寿司と海苔巻きは,いかにも江戸っ子好みの甘っ辛い揚げとかんぴょうが,きりっとした酢飯と相まっている逸品です。
 どら焼きは皮もあんこも自家製で,香ばしさと小豆の上品な甘さ,ケーキはさっぱりした甘さのクリームと,しっとりしたスポンジの愛称が素晴らしいものです。
 ご馳走というのは,誰かのためにあちこち走り回って,いろいろと調達してくることを意味しているそうなので,これに照らせば,ご馳走ですね。
 買い集めてきたものは,家族みんなが好きなものなので,それをお腹いっぱい,楽しく食べるにはうってつけのものなのです。

 よくよく最近の街を見ていると,こういうものを店が集まっている商店街は,ずいぶんと減りましたね。これは京成電車の停車駅の変化にもみられる,都市の空洞化の影響なのでしょう。当たり前にあるものは,いつのまにか遠い存在になってしまうようです。
 買い集めたものを膳に並べ,一同そろったところで乾杯。みんな笑顔でわいわい言いながら食べています。実に幸せで豊かな時間です。やがて夜も更けてきたところでお開き。まだまだお膳にはたくさんのものが並んでいますが,母はそれらをすばやくパックに詰めて,妹に持たせます。
 「明日のおかずにしなさい」
 妹たちは我が家から300mほどの場所に住んでいますが,おかずや残り物を持たせるというのは,亡き祖母もよくしていました。
 鉄道好きな私の原点,京成電車。こういう思い出というのは,介護の場面などでも利用者さんと共有できる,わりかし便利なものです。みなさんも,ちょっと思い出してみてはいかがでしょうか。秋の夜長に。(2020年9月,撮影・著者)

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